私の現在進行中のプロジェクトである、イタドリ (Japanese knotweed) という植物についてのリサーチを継続する。
イタドリは、非常に危険な外来種としてヨーロッパで認識されている。しかし、もともと日本の在来種で、19世紀に鎖国中の日本からPhilipp Franz Balthasar von Sieboldというドイツ人医師(日本史に登場するシーボルト)によって人為的にヨーロッパに持ち込まれたことに端を発する。日本では土壌の条件、自然の天敵がいることから、自然のバランスの中に収まっているためほとんど知られていない。一方、ヨーロッパでは環境条件の違いや、天敵がいないことから、彼らのパフォーマンスは飛躍的に向上し、現在では人間社会の富を奪う存在になっている。
しかし、ヨーロッパに持ち込まれた当初、エキゾチックな園芸植物として高値で取引され、1847年ユトレヒトで、その年の最も興味深い新種の観葉植物として金賞を受けている。様々な土地で取引され、園芸目的で植えられたのち、その一部が野生化し、ヨーロッパ全土に広がる。イタドリがヨーロッパで生存域を広げた大きな理由の一つに、人為的な土壌の移動がある。彼らは土に混じるわずかな根の破片から複製を作ることができるため、人の力を借りることでヨーロッパ全土に広がることができた。また、イタドリは火山性の土壌でも生息できる先駆植物であり、植物相が乏しくなったポストインダストリアルな場を好んで繁栄する傾向を持つ。つまり、彼らが生息する土地は歴史の過程で何かしらの人為的な介入があった可能性が高いことを示している。さらに、現在ヨーロッパでは複数の別種のイタドリが生息している。彼らは別の経路から人為的にヨーロッパに持ち込まれた別種のイタドリとの間に、生まれた新たなハイブリッド種である。
ロンドンのデルフィナファンデーションのレジデンシーの機会を利用し、イタドリにまつわるリサーチを開始した。キューガーデンに保存されていた、シーボルトが送ったとされる最初のイタドリの標本の撮影や、19世紀に建設されたという国鉄の敷地に生息し続けるイタドリの調査など、多くの収穫を得た。また、2021年のパンデミック中に滞在し、イタドリと出会うきっかけとなった日本の限界集落に、今年の5月より再び滞在する機会を得た。そこでは、ヨーロッパにおけるイタドリに対して、在来種としてのイタドリの性質、身体性をリサーチするとともに、日本の環境の中における彼らのナラティブを理解する。
このヨーロッパ全体を対象とした長期のプロジェクトを通して、私はイタドリが辿った旅の経路、イタドリの種としての変化を調査し、イタドリの視点から人類の活動を見つめるナラティブの可能性について研究している。外来種という人間中心的な視点で語られてきたイタドリという植物に対して、植物の旅の経験という新たな視点から、人類の活動を捉え直し、植物と人類の移動の歴史の複雑な絡まり合いを解きほぐすことを考えてる。
Work-in-Progress in London
(10min.ver.)
2024-
この映像は、キューガーデンに収蔵されているシーボルトが1850年代にイギリスに持ち込んだとされる最初のイタドリの標本を撮影したものである。この標本は、現在イギリスに存在するほぼ全てのイタドリの始祖にあたり、現存するイタドリは同一の遺伝子を引き継ぐクローンである。私は、日本原産でありながらヨーロッパでは侵略的種とみなされているイタドリの歩みをたどっている。この調査は、ヨーロッパにおけるイタドリの広がりが、人間の活動によってどのように加速されたかを明らかにしようとするものである。この映像はその最初の試みである。
▲ロンドンのデルフィナファンデーションでの展示風景
2024
▲J. P. Bailey and A. P. Conollyによるイタドリの論文
私がデルフィナファンデーションのレジデンスに選出されたのは、不幸にもイタドリが休眠する冬季の1月から3月にかけてだった。そのために屋外でのフィールドワークはあまりできなかったが、逆にキューガーデンのリサーチャーへの聞きとりや、彼らが進めてくれた研究論文を読み込み、既存の研究成果に目を通すことができた。イタドリという種がいかにしてその生息域を広げたのか、他の経路から人為的に欧州に持ち込まれた別種のイタドリとの間に発生した新たなハイブリッド種についてなどいくらかの興味深い研究に出会う。一方で、研究論文の多くは「外来種」という問題解決の科学的視点からの研究であり、その問題がどこから来たのか、その問題は何なのかというという問いは、領域横断的な想像力が必要であると感じた。
▲ヨーロッパにおけるイタドリの分布

Adapted from "Fallopia Japonica (Houtt.) Ronse Decraene" by David J. Beerling,
John P. Bailey, and Ann P. Conolly.
私はイタドリが生息する土地をある種のディアスポラとして捉えた際に浮かび上がる、歴史、地図、社会関係、政治力学を研究したいと考えている。それらはイタドリという種単体では捉えることはできず、土地のエコロジーと人間活動とを複合的に考察することを必要とする。これは脱人間中心主義に留まらず、近代的な独立した「個」という幻想に挑戦するものであると考えている。このイタドリの存在論的な変化は、人間と接触し、新たな土地や他種との関係性を抜きに説明することができないからだ。
現在構想しているプロジェクトの一つに、欧州におけるイタドリのテリトリーの極限の調査がある。イタドリは欧州全土においては、複数の経路から、北はノルウェー、東はブルガリア近辺、南は地中海性気候の手前まで、そして最も西に位置する土地はアイルランドである可能性が高い。そのそれぞれの極地のイタドリのディアスポラにおいてどのような存在として、人間、非人間との間にどのような社会関係を築いているかを調査することを構想している。
日本のイタドリの研究
現在、日本におけるイタドリの研究も行っている。国内におけるイタドリは、主に山間部を中心に生息している在来植物であり、天敵の存在や土壌の条件などから、生態系の中で際立つことはない。一部地域では山菜として消費されるが、多くの地域ではその習慣はなく、人間社会との接点を持たず、有益とも有害とも認識されない「雑草」とみなされる。それ故に学術的な研究の対象になることも欧米と比べると圧倒的に少ない。 イタドリに特化して研究を進めることで理解したのは、私たちの認識する世界の外側にも多数の行為主体が複雑な社会関係を築いているということだ。 イタドリは先駆植物に分類され、土が露出した環境や撹乱地に最初に定着する。また、水はけが良く、日当たりの良い土地を好んで繁殖する。日本においては、土砂災害や河川の氾濫は、彼らにとって新たな繁殖地を得る機会を提供する。また、これは人間が建設工事などで樹木を伐採し、土を掘り返すことで撹乱された土地の条件と一致する。実際に、山間部の舗装道路沿い、土砂災害の舗装工事現場や、土砂捨て場などの周囲にはイタドリを多く見つけることができる。このようにイタドリは、人間を含む様々な媒介者を利用して常に移動する機会を伺っている。 日本にはイタドリの葉のみを主食とする虫、成長を過剰に促進しない土壌条件、イタドリが枝を伸ばして作り出した高さを覆い尽くす葛(クズ)などの他の植物などの存在から、環境の中で覇権を握ることはない。それは競争というよりも、順番のようなものであり、他の存在が自己の存在の条件となっている。この多種からなる循環する社会関係のようなものは、近代以後の都市型の人間社会とは接点をほとんど持たないように思われる。 イタドリがどのように世界と接し、どのような多種からなる社会関係の中で存在するかを「美術」を通して理解することは、私たちの「価値」を中心に回る社会の考え方を問い直す機会を提供する。
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